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009("父 桑原岩雄ホームページを拝見した一読者"様 朝日新聞記事(1971年2月11日)のこと⇒続報があります

"父 桑原岩雄ホームページを拝見した一読者"を名乗る方から、2009年2月12日の消印のある封書を戴きました。
内容は以下にご紹介する通りですが、母、つまり桑原岩雄の未亡人が、ちょうど病院より退院して家に戻ってきたばかりの時でしたので、アップロードする時間が無く、ひと月以上、そのままで放っておかれてしまったのです。
"父 桑原岩雄ホームページを拝見した一読者"様にご心配をおかけしましたことを、心からお詫び申し上げます。



"父 桑原岩雄ホームページを拝見した一読者"様 2009年2月12日
朝日新聞記事のこと


拝啓
桑原先生に関する思い出が多くの方から投稿され、懐かしく拝見しました。

ある方が、先生の朝日新聞の記事を取り上げていました。私も札幌五輪の極寒の時期に、この記事を駿台生として誇らしく読んだ記憶があり、このたび公立図書館で当時の新聞縮刷版を検索し、別添の記事を探しました。

メールの技術がないので、メール送付できませんが、ぜひ謄写の上、この記事を「父 桑原岩雄を偲ぶ」に加えていただけませんか。

多くの桑原ファンの心に先生が大きくよみがえることになるでしょう。

よろしくお願いいたします。
                         敬具



《註》(2023年8月2日記載)
1.記事の中で、「桑原岩雄さん(五八)」となっているのは間違い、正しくは六三歳です。
2.1971年の建国記念の日の朝刊に記事が掲載されたのは、朝日新聞の北海道版・東京版・名古屋版でした(大阪版・西日本版には掲載されませんでした)。名古屋版のみ、「合格技術は教えません」という副題が付いていて、「桑原岩雄教授」となっていました。縮刷版が見つかりましたので、ご紹介いたします。





[続報](2016年9月3日追加記載)

朝日新聞be編集部の記者、木村尚貴さんから、「桑原岩雄さんのことで電話取材をさせていただきたく、・・・」というメールを頂戴したのは、2016年8月2日のことでした。

朝日の週末版beの、「サザエさんをさがして」というコーナーの下に、取り上げたサザエさんが載っていた同じ日の新聞のニュースを選んで紹介する「縮刷版から」というミニコラムがあって、1971年2月11日の父を紹介する記事(上掲)について、木村尚貴さんがコラムを書いてくださる、というお話でした。

電話をしてきた木村さんは、わたくしよりずっと若い方のようでしたが、やはり「駿台にだいぶお世話になった」ということで、(不思議なものですね)話が弾み、ちょうど30分、色々と話をさせていただきました。

出来上がったミニコラムは、2016年8月27日(土)の朝日新聞朝刊に掲載されました。木村さんのご好意により、以下に紹介させていただきます。(著作権は、朝日新聞社と木村尚貴さんにありますので、もしも引用されるようなときには、ご注意くださいませ)

父のことを思い出して反芻する貴重な機会と、素敵なミニコラムを作ってくださった木村尚貴さんに、心より感謝申し上げます。


                    


さらに、木村尚貴さんは、早速「読者からの感想」も送ってくださいました。ありがとう!!。以下に紹介させていただきます。

・学問の本質に迫り知的好奇心をかき立てる授業が、予備校という、ある意味傍流とでもいうべき教育界でこそ実現できた、 という「桑原先生」。悩み相談にも親身だったというそんな「桑原先生」への、受験生たちの真っ直ぐな尊敬の眼差し。 多感な時期に、尊敬に値する真の教育者に出会うことは、まさに僥倖!(東京、58歳主婦)

・40年あまり昔、一浪して京都駿台予備校に通っていたとき、夏期講習と冬期講習で桑原先生の古文を受講しました。 説明がとてもわかりやすく、噂に違わぬ名講義でした。京都校にも田中重太郎先生という名物講師がおられましたが、 今の自分の古文の基本を叩き込んでくださったのは、このお二人であると確信しております。(京都、61歳自営業男性)

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(2009年3月23日掲載、2016年9月3日追加掲載、2023年8月2日更新)