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021("兵庫県在住の駿台卒業生"様 前回の疑問、氷解しました!)

"兵庫県在住の駿台卒業生"様に、『古文要説』などと抜き刷りをお送りいたしましたところ、さっそく、ご返事を頂戴いたしました。以下にご紹介いたします。


"兵庫県在住の駿台卒業生"様 2016年4月27日
前回の疑問、氷解しました!



From: "兵庫県在住の駿台卒業生"
Date: Wednesday, April 27, 2016 10:39 PM
Subject: 前回の疑問、氷解しました!
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 お送り頂いた古文要説ほかと源氏抜き刷りに目を通しました。


 まず、2冊の源氏抜き刷りを手に取り、『葵・賢木の周辺』冒頭の「紫式部の書いた源氏物語の初めが、第五帖の若紫、少なくともその一部であったことは、論旨には多少の出入りがあっても、およそ動かぬこと…」でこの小書が源氏物語の作者に関する論考だと直感しました。
 読み進むと、まさにそのとおり。歴史上院政が始まる80年も前に院政にあたる内容を式部が創作したとは考えにくいとか、賀茂の斎院に皇孫女が任ぜられた例は1件しかないのに歴史に通じた式部が「多くもあらざりけれど」と記すのは不自然、などなど慎重に抑制された筆致で仮説と検証を積み重ねたうえで、二分冊の最後に、
 「源氏物語五十四帖が、紫式部という一女性の手によって作られたなどということは一片の伝説である。(中略)この複雑な作物が、一人の作家によって順を追うて書き上げられたなどということは、源氏物語そのものを読めば、空想に過ぎないことが、はっきりと感じられる。
 と先生のお考えが記されておりました。
 これで長年の疑問が氷解しました。そして、18歳の僕は先生のコトバを正しく聞いて覚えていたのです! 本当にうれしいことです。


 『古文要説』は、パラパラッと目を通しただけですが、チュウグウサダコという訓読みに対しての言及は見当たりませんでした。一方、ホームページの012「団塊世代の読者」様がアップされている、先生の『方丈記をすすめる』の中には、
 「鴨の長明(ふつうチョウメイと読んでいるが、源家長日記に「なかあきら」と書いた箇所が一つある。昔は濁点をつけない。)」
 という記述がありました。先生の講義は、受験生の笑いを取るために普通と違う読み方をされるような雰囲気ではありませんので、方丈記の記述を合わせると、名前について訓読みが基本だと考えておられたのではないでしょうか。


 さらに、『旧・古文要説』と『新・古文要説』の刊行状況ですが、旧の『古文要説T日記文学編』(昭和51年3月刊)の序説に「将来作るはずの「物語編」」との記述があり、『新・古文要説T歴史物語篇』はしがきには、「「古文要説」日記文学篇を出してから、第二篇以下の筆を執らずにいた(中略)今回全面的に計画に検討を加え、改めて、「新・古文要説」として刊行することとした。第一篇を歴史物語篇とし、第二篇を日記文学篇として前のものに改訂を加え、さらに、第三篇を源氏物語篇として、引き続き執筆する予定である。」とあることから、『旧』は一編だけで、『新』になってから三冊本になったことがわかります。
 ちなみに『新』のT歴史物語篇の刊行は昭和59年5月、U日記文学篇は59年11月、V源氏物語篇は62年6月です。「編」の字が新版では「篇」に改められていますが、理由は不明です。


 最後に、『新・古文要説源氏物語篇』の在庫はないとのことでしたが、たまたまほぼ新品の状態の本がAmazonに出品されており、あっさりと僕の手元に送られてきました。
 偶然とはいえ、あまりのタイミングの良さに驚いている次第です。
 これを機会にもう一度古典を読み直してみようと思います。今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。

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(2016年4月29日掲載)