<父、桑原岩雄トップページ>に戻る | 019へ戻る 021へ進む


020("兵庫県在住の駿台卒業生"様 三十八年前に駿台で桑原先生に学びました)

"兵庫県在住の駿台卒業生"の方から、父の著書の頒布の申し込みを戴きました。ありがとうございます。メールのあとがきの部分を、以下にご紹介いたします。


"兵庫県在住の駿台卒業生"様 2016年4月21日
三十八年前に駿台で桑原先生に学びました



From: "兵庫県在住の駿台卒業生"
Date: Thursday, April 21, 2016 10:39 PM
Subject: 桑原先生のご著書の在庫。
-------------------------------------------------------------------------------

 私も多くの投稿者と同じく駿台で桑原先生に学びました。昭和53年から54年にかけてですから、もう38年も前のことです。
 あまり皆様に付け加えることもないのですが、思いつくままにいくつか記すことに致します。


 まず、皆様がお書きになっていることですが、「古文は読めばわかる」ということ。私がはっきり覚えているのは「ゆっくりと読むんです。日本語なんだからゆっくり読めばわかります。」とおっしゃったことです。蜻蛉日記だったと思いますが、難解な箇所で「ゆっくり」を何度も強調されたことを鮮明に思い出します。

 次に、枕草子。中宮定子のことをチュウグウサダコと発音されていたこと。たしか有名な御簾を掲げる場面で、二重尊敬の助動詞に着目すれば、チュウグウサダコが主語である箇所はすぐわかるといったお話でした。

 最後に、今でも質問し損ねたことが悔やまれるのですが、源氏物語を読んでいるときに、「源氏は一人で書いたんじゃないんですから」といかにも当然のことのようにおっしゃったこと。宇治十帖が別人の手によるという説は当時も聞いたことがありましたが、先生のニュアンスは全体についての話のように受け取れました。休憩時間に質問しようとして果たせず、その後も気になりながら今に至っています。先生のご持論だったのでしょうか?それとも私の聞き間違い?ぜひ源氏の抜き刷りを見たいものです。

 また勉強とは関係ないのですが、夏場に学生が暑い暑いといっているときに、先生は「わたしは暑くないんですね」とおっしゃっていたことが思い出されます。


 さらに、先生とは直接関係していないのですが、駿台古文の公開模試でも思い出すこことがあります。
 たしか冬頃、公開模試の古文に大鏡が出題されて、簡単にできたのですが、その後教務課から呼び出しがあり、「できすぎている。不正行為をしたのではないか」と疑われたのです。もちろんそんなことは一切ありませんし、すぐ疑いも晴れたのですが、「桑原・高橋組に習ってるんやからできて当たり前や。」などと偉そうに申したことがありました。


 私は駿台で学んだおかげで無事に東大の文一に合格でき、法学部卒業後は銀行に勤めました。銀行勤務10年を経たあと公認会計士を志し、現在大阪で公認会計士事務所を開業しています。高校生になった息子が古文の勉強をするのを見ているうちに昔愛読した古文要説を思い出し(昔は1冊もので日記文学が多かったように思いますが記憶違いでしょうか)、インターネットで検索するうちにこのホームページを見つけました。ただただ懐かしく、お礼申し上げたい気持ちとともに、もしご著書が残っているのならぜひわけて頂きたいと思いご連絡した次第です。

 誠に勝手なお願いですが何卒宜しくお願い申し上げます。

-------------------------------------------------------------------------------

(2016年4月23日掲載、2016年4月29日更新)