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001(桑原岩雄自画像、その他の絵画)


 父、桑原岩雄(1907年8月21日〜2002年1月8日)は、字に堪能であるばかりでなく、絵を描くことも趣味としており、「絵描きの心を持った教師」とひそかに自負しておりました。

[1]自画像の中から、油絵の自像 昭和34年初秋』(F4号)をご紹介いたします。
 満52歳。壮年期の鋭さが描かれております。





[2]静物画の中から、紫陽花 昭和44年夏』(F6号)をご紹介いたします。
 満61歳。落ち着いた絵です。


この絵のサインは「Iwao.K.」。



[3]風景画の中から、谷川温泉 俎岩(まないたぐら) 昭40年9月』(F3号)をご紹介いたします。
 満58歳。このころから温泉地で絵を描くようになりました。


この絵のサインは「青」。


[4]風景画の中からもう一点、穂高秋色(ほたかしゅうしょく) 昭52年10月16日』(F3号)をご紹介いたします。
 満70歳。上高地を好んだ父は、有明温泉に何度も足を運んでいます。亡くなる前には「なぜ、あんたたちと上高地に行かなかったのだろうね」と何度も口にしておりました。


この絵のサインは「I.K.」。


[5]静物画の中から、初期の力強い一点、冬瓜図(とうがんず) 昭26年8月28日夜』(F4号)をご紹介いたします。
 満44歳の時の作品で、若々しい力がみなぎっています。今回箱から出して見た私たちは、圧倒されて言葉が出ませんでした。

 父が油絵を描くようになったのは、戦後すぐの岸田劉生展を観たのがきっかけだ、ということでした。この絵は、題名ばかりでなく絵の描き方にも、明らかに劉生の影響が見られます。劉生の『冬瓜茄子之図』などを検索して参照してくださいませ。


画面表面にはサインは無く、板の裏面に、桑原岩雄の字で『冬瓜図 26.8.28夜』と書かれています。


[6]自画像の中から、『冬瓜図』と同じ満44歳の時の一点、冬燈下自像(とうかじぞう) 昭27年4月20日朝了)』(F4号)をご紹介いたします。
 駿台高等予備校(のちの駿台予備学校)に出講するようになる少し前で、老成した雰囲気もありますが、やはり若々しさを感じられると思います。


画面表面にはサインは無く、板の裏面に、桑原岩雄の字で『燈下自像 昭和二七、四、二〇朝了』と書かれています。


[7]静物画の中から、晩年の落ち着いた一点、柿五箇(かきごこ) 平成2年10月1日』(F6号)をご紹介いたします。
 満83歳の時の作品で、父にしては大きなサイズのゆったりした絵です。引退した穏やかな心が描かれているように思います。


画面表面にはサインは無く、キャンバスの枠(裏面)に桑原岩雄の字で『柿五箇 平成2,10,1』と書かれています。


桑原岩雄の号およびサインの色々
「青苔山房(せいたいさんぼう)」「青苔山人」「青苔人」「青」。「葱(ネギ←若い時は坊主刈りだったor神主の資格を持っていた?)」。「Iwao.K.」「I.K.」。


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(2006年4月5日掲載、2016年5月21日更新・リンク新設、2017年2月13日リンク削除、2018年10月2日更新 )